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2017年09月14日

バッティングセンターの思い出

中学生の頃は、野球部に所属して白球を追っていた

と言えばカッコイイが。

確かに白球は追っていたがそれは万年球拾いで

それは3年生になっても続いた。

窮状を鑑みて、当時エースだった同級生が

下手くそな私をブルペンキャッチャーに

指名してくれて、投球練習の間だけは

球拾いを免れていた。

そんなわけで、中学校時代は試合に出ることは疎か、

打撃練習さえ二度三度したかどうか。

それでも野球が好きだった。

暇があれば、同級生とあちこちで野球をしていたが

人数が集まらずに、8人制や7人制、時にはバレー並みの

6人制でやったこともあった。

守備は下手、投球はノーコン、となると好きなのはバッティング。

大振りだったせいか、偶に当たるとよく飛んだ。

その記憶が忘れられず、社会人になってからはバッティングセンターが

あると必ずといって良いほど打席に立った。

旅先でも、北九州、佐賀、三原、倉敷などなど。

近場では、今は無いが山口、長門、益田。

現役のバッティングセンターでは防府。

静岡の沼津で3ヶ月暮らした時は、寮の近くの

沼津後楽園と言う名のバッティングセンターによく通った。

ここには1レーンだけ、準硬式球のレーンがあり、

表面は軟式だが中身が硬いボールで、自打球が当たると痣が出来た。

このバッティングセンターでは、ホームランの看板に当たると

メダルかスナック菓子が貰えた。

メダルは何枚か貯めると商品と交換できて、私は6枚は貰った記憶がある。

ホームランの商品と言えば、山口のバッティングセンターでは

何故か足の消臭スプレーで、会社の先輩にあげたら「嫌みか」と言って

突き返された。

長門のバッティングセンターは、萩焼の湯飲みが貰えたが、いつも同じ

ものなので途中から貰うのを断ったら、世話人の叔父さんが行く度にジュースを

奢ってくれるようになった。

ここでは、一時期、電車が通る時は打たないでと言うルールが有り、

つまりは1球か2球、損をするわけだが、世話人の叔父さんの配慮で

5球程度、おまけで余分に打たせて貰った。

その理由は、バッティングセンターの網が所々、破れていて万一、

そこに打球が飛ぶとその向こうに有る。JR山陰線の線路まで行く

可能性があるからだった。

現に私も何度か、網をすり抜ける打球を打ったことがあるが、線路までは

飛ばせなかった。

昨日、長門方面を走ったが、バッティングセンターの跡地は駐車スペースに

なっていて当時の形跡は見られなかった。

そう言えば、アトラス萩店前のコンビニがある場所には、バッティングセンターが

あったなと思い出した。
posted by 和をん at 06:37 | Comment(0) | 昭和の物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

「ペナルティーで43周...男子生徒重体」に想う

杉並区の都立知的障害特別支援学校高等部で、目標タイムに

達しなかった児童に、ペナルティーとして43周グラウンドを

走るように顧問の教諭が命じ、当日に22周、翌々日に21周を

走った男子生徒が熱中症で意識不明の重体になっている。

この記事を見て、私も遙か昔の記憶を思い起こした。

忘れもしない、私が中学1年生の8月31日、夏休みも最後の日だ。

もう、40年近く前のことになる。

この日は、快晴。

私は野球部に所属していたが、1年生は声出しと球拾いが部活動の

内容だった。

時間は、ほぼ正午、グラウンドでは2年生を中心にピッチャーと

ランナーの牽制、帰塁の練習が行われていた。

夏休みも最後、炎天下の中、誰もがバテバテで、それでもあと少しで

帰宅して昼ご飯を食べて、冷たい麦茶か牛乳にでもありつける予定だった。

しかし、顧問のI先生の「こらぁ〜おまえら一年生」の声に

私たち一年生は震え上がった。

牽制がそれたボールを誰も取りに行かず、ボールが外野に数個

転がっていた。

これは恒例の連帯責任でのケツバット(ノックバットの柄の

部分で人のお尻から腿の辺りを叩く体罰)かなぁと想っていると。

「おまえらぁ〜この練習が終わったらグラウンド50周な」と。

1周、200mではあるが、50周となると10kmである。

真夏の炎天下のグラウンドでマラソンをするようなものである。

しかも、当時の私は最長でも3km程度しか走ったことは無かった。

かくして午後12時半から、地獄のマラソンは始まった。

足も遅く、体力も無い私は最後尾辺りを周回遅れで走って行く。

20周くらいからは記憶も曖昧で、ほぼ歩くような状態だった。

午後2時くらいに先頭は50周を走り終えましたが、顧問のI先生は

「弛んどる」という理由で更に10周を追加。

それでも、午後2時半くらいには私も60周を終えたのですが、

意地の悪い同級生が「こいつ途中で内回りをしてました」と

告げ口をしたお陰で更に5周を走って終わったのが午後3時きっり。

それまで朝8時くらいから水なし、食べ物なし。

よく走れたものです。

その足で、吉田町の「大学食堂」へ行きカレーライスと多量の水を

体に入れた記憶があります。

私が中学生だった40年近く前は、体罰当たり前。

非科学的な体育会系な部活動がまかり通る時代でした。

野球部あるあるとでも申しましょうか。

1.練習中はバテるから水は飲まない、飲んだらシゴキ。

2.練習中にミスをしたり、規律を破ったらケツバット。

3.先輩に言われたらクロでもシロ、蝉の死骸を食べさせられても

 「有り難うございました。」

4.試合にその選手のエラーで負けたら、監督(顧問の先生)に

よる100本ノック、しかも殆ど取れないような打球の。

5.水泳は肩を冷やすから野球部員は全面禁止。

6.練習のシメはウサギ跳びでグラウンド1周。

体罰当たり前、熱中症や体の故障を助長するような練習。

今想えば、よく耐えたものです。

今、ニュースで話題になっているような体罰や暴言も

当たり前にありましたね。

英語の先生は、抜き打ちで単語のテストをして

間違った数だけ竹のヘラみたいな棒で生徒の頭を叩く。

点数が悪い生徒の答案は、全生徒の前で公開してから

渡す。

「アホ」「ボケ」「カス」「帰れ」「バカタレ」は

まあ挨拶みたいな感じでしたね。

私の息子や娘が中学校に上がった頃、市内の各中学校の校長の名前を見て

びっくり。

体罰や暴言を進んでしていた先生方がスッポリと収っている。

何と、不思議なことか。

ある校長は「暴力は絶対イカン、どんなことがあっても」と言っている

らしいが、私から言わせると「どの口が言うのか」である。

今回、罰走を命じた教諭が私と同世代かどうかはしらないが、

学生時代に体罰や酷い扱いを受けたんじゃなかろうか。

でも、それならば尚更、自分のかわいい生徒には同じ苦しみを

味合わせない指導や教育の中でその生徒を伸ばすことが必要だと

私は想う。

私も短い期間ではあったが、障害を持つ中高生のお世話をさせて

もらったことがある。

彼らは、色々な障害や個性があるが、総じて無防備で無垢で素直だ。

障害がない子供に比べて、なお一層の配慮が必要なのは明白である。

教師と母親と指導者は、慈愛が無いと出来ない。

いや、慈愛が無いとなってはいけないし、やってはいけない。
posted by 和をん at 06:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

縁(えにし)を感じる…さんざめく夜

さんざめく夜…2夜目らしい。

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場所はLive&Bar 玉ネギ畑。

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菊ヶ浜に向かう通りのこんな素晴らしいロケーション沿いに

有ります。

野球観戦から自宅に帰り、晩飯をかき込んで徒歩で出かけました。

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雁島橋から眺める指月山は夕日に照らされて輝き。

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カモメは街灯の上で一日の疲れを癒やし。

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野良猫は来るべきファイトのために爪をとぐ。

そんな夏の夕暮れ時に、汗をかきながらキャパ45名の

小さくても、山椒は小粒でもぴりりと辛いとばかりに懐の

広い玉ネギ畑にいざ出陣です。

ご存じの方も多いとは思いますが、このお店の店名である

玉ネギ畑はあのTHE STALINの遠藤ミチロウさんの命名。

私がこの店に初めて訪れたのも遠藤ミチロウさんのライブでした。

遠藤ミチロウさんを始め、竹原ピストルさん、水戸華之介さん(あのアンジーの)

ぼんじさん等などメジャーどころも多数出演した凄いライブバー。

今回は、偶々萩夏まつりで耳にしたシバタヒデアキ&おおたにあきさんが

主催されるライブとのことで、他の出演者の方々は知らなかったのですが

行ってみることにしました。

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このお店の凄い所は、ライブ感。

海まで30歩、アーティストまで3歩の距離感は

テレビで見てたらお母さんから「もっと離れて見なさい」と

言われる距離です。

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ファーストアクトは谷山俊介fromYAMAGUCHI.UBE。

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丁寧で端正なフォーク・ロックというか懐かしいテイストの

曲ですが反骨心は忘れていない味付けはある意味グリーンカレー。

色味に騙されて頬張るとヴェリスパイシー。

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山口県宇部市松島町にあるBIG HIPの経営者さんでミュージシャン。

9/7木曜日には、マシンガン・ソネットと題したライブを開催されます。

セカンドアクトは、実はお客さんだと私が勝手に勘違いしていた

竹内ゆえさん。

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ステージに立つと突然、「トキヒコー」と叫んで歌いだしたので

面食らってしまいました。

彼女の曲の世界はファンタジーと言うかシュールというか。

私のボキャブラリーでは語りきれないのですが、

矢野顕子さんと中島みゆきさんの世界観にファドで味付けをして

混沌(カオス)のおもちゃ箱に投げ込んだような。

いや〜よけい訳わからんようになった。

詳しくはライブに行くか、YOUTUBEで探して聞いてみて下さい。

空を飛んだ後に、急に地面に急降下した気分が味わえます。

多分。

サードアクトは、加藤格fromTOKYO。

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富山県出身で、お母様は萩市の出身だとか。

ライブの後でお話すると私と同世代(加藤さんが1歳上)

ネットで確認すると誕生日も1日違い(加藤さんが1日先)

全てが私より「格上」

ステージに立つや否や、民謡「こきりこ節」で先制パンチ。

そこからは、等身大のストレートなロック。

いやある意味、ソウル。

心の底から沸き上がる怒りや悲しみや喜び、慈しみが

歌の中に沢山詰め込まれて、聞き手の心の鍵をこじ開ける。

時に強く、時に優しく。

人に言えない苦労や悲しみを経験されたであろう人間としての

厚みと深さが歌にも反映されていました。

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私と同じく、吉川晃司さんや尾崎豊さんと同世代(加藤さんが1コ上)

ですが、ギターは40代後半から始められたとか。

凄い反骨心、太刀打ちできません。

完敗です。

メインイベンターのシダタヒデアキ&おおたにあきさんの直前を飾るのは

おおたにあきさんにセクシーと言わしめた飆飆ノ光さん。

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読み方がわからんのですが飆は「ひょう」または「つむじかぜ」と

読むらしいので「ひょうひょうのひかり」と言うアーティスト名でしょうか。

最初の印象は「何?この人、不機嫌なん?」って感じでしたが歌い出すと

もう虜、あなたの虜byシルビー・バルタンな感じ。

私が知ってるアーティストで表現するなら、SIONさんが近いかな。

でも、私が知ってるSIONさんの曲調よりもスピード感がある。

絶対生で、目の前で聞きたいアーティストです。

SIONさんに近いとは表現しましたが唯一無二。

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誰にも似ていない凄さ。

しかも、おおたにあきさんが言われる通りセクシーです。

紫煙が似合うアーティストですが、煙草吸われるのかな?

さてさて、メインイベンターの登場、シバタヒデアキ&おおたにあきさん。

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オープニングは、私が初めて聞いたお二人の曲、『SEA MARKET』。

これで、あの日ガツンとイカれました。私。

そんで、『ファンファーレ』もいいね〜。

踊りたいくらい、踊れないけど。

もうお腹いっぱいです。

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こんな素敵なライブを企画してくれたシバタヒデアキ&おおたにあきさんの

二人に感謝、感謝です。

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出演された、アーティストさんとの縁(えにし)を辿るとお二人の素晴らしさも

わかるというもの。

50代を迎えたオッサン(私です)には、ヒップホップや語呂合わせのJPOPは

その良さがわからんです。

やっぱり「好き」「嫌い」「愛してる」「サヨナラ」はストレートに

言って欲しい。

そういう面では、この日出会ったアーティストは言葉と歌をストレートに

ロックに伝えてくれました。

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私はと言うと、ジャックダニエルのロックとパーティナイトに

ほろ酔い加減な夜でした。

posted by 和をん at 10:06 | Comment(0) | 萩日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする